テーマ展「水府美術譚」WEBよもやま話 その6

web よもやまばなし~水府美術譚より~ シーズン4
 

その6 ラスト! あとわずかお見逃しなく!! 月僊と茨城?水戸?

みなさんこんにちは!フーテンの風狂野郎です。
6月16日にスタートしたテーマ展も残り数日となりました。
毎回思うことですが、あと少しとなるとさびしいもの・・・・
準備が大変だったことも忘れて気楽なものではありますが。さて、前回小泉斐についてふれましたが、今回はもう一人、月僊についても少しふれておきます。

月僊 げっせん(寛保元年[1741]~文化6年[1809])

俗姓は丹氏、僧名を玄瑞といいます。尾張は名古屋の味噌商の家に生まれました。7歳で得度(出家)し、10代で江戸へ出て増上寺(浄土宗)に入り、この時江戸で画塾を構えた水戸出身の桜井雪館の門人となりました。明和6年(1769)『古今諸家人物志』下巻に月僊が桜井山興(雪館)の門人の一人に記録され、少なくとも20代の終わり頃まで江戸にいたと考えられています。

その後、京都の知恩院に修行の場を移し、円山応挙の門をたたきます。また同じ時期に京で活動した与謝蕪村に私淑したともいわれています。これだけをみると蕪村につき、その死後、応挙にならった呉春(1752~1811)と世代も近く、その境遇が似ています。
その後、安永3年(1774)、34歳で伊勢古市の寂照寺の住持となり、荒廃した寺の再建をまかされ、描画によって全国を勧進(寄付を募ること)して歩き、集めた資金を寺の諸堂の再建と社会の慈善事業に役立てました。水戸や茨城とどのようなかかわりがあるの? というところですが、江戸末期に書かれた画人伝の『古画備考』月僊の項には、次のような記述があります。

「月仙水戸へ下り、磯辺村地紙屋吉右衛門方に二三年程逗留(とうりゅう)いたし吉右衛門伜(せがれ)彦助事、月仙の画を学び、当時水戸町在へ、かけての絵かきなるよし」己卯八朔承

この中の磯辺村とは現在の常陸太田市磯部町付近で「磯部たんぼ」とよばれる水田が今も広がります。太田の町は戦国時代には、佐竹氏の本拠地でした。茨城県北部の中核になる城郭で、江戸時代に入ると水戸藩領北部の物資の集散地でした。米や煙草などが集められ、水戸方面へ送られたほか、紙などもよい楮が藩領北部に自生したことから、地紙屋という紙問屋のような商売も成り立っていたのでしょう。

現在の常陸太田市磯部町付近 水田が広がります

現在の常陸太田市磯部町付近 水田が広がります

もちろんこの記述だけでは月僊が水戸や太田に来たという明確な証拠にはなりません。ただ、水戸の町人の家に月僊の款記が入る書や画が残されています。また、寛政元年(1789)に月僊は弟子の洋風画家、亜欧堂田善を須賀川に訪ねていて、この後、水戸、太田
やその近在に滞在していたものと考えていいのではないかと思います。生まれ故郷の尾張をはじめ東日本へも勧進を兼ねた行脚をしていたようです。

林十江や立原杏所には南画の要素に円山四条派の影響があると言われています。林十江の紙の特性を熟知した巧みな筆墨は付立てや側筆を用いた描き方が見られます。立原杏所の花鳥画や山水画、真景図などには柔らかな情感をたたえる温和な色づかいが見られ、すっきりとした気品のある画風を形成しています。実は十江や杏所の画の特質が円山四条派の用いた技法や彩色にみられるため、その技法を誰が彼らにもたらしたのかということになるのです。また当初狩野派を学んだという萩谷遷喬は、写実的な動物画や花鳥画を描き、水墨の画は付立てを多用していてここにも円山四条派の影響を見ることができます。さて、円山四条派と書きましたが、円山応挙とその弟子の呉春や松村景文など写生を中核に美しさや奇想的感覚を加える一群の画人たちを円山四条派といいます。(四条とは、呉春やその弟子が京の四条界わいに居宅があったため、こう呼ばれています。)応挙に師事した月僊は円山四条派の「影響を受けた一人」といえるのでないかと考えられます。もし、太田や水戸に滞在中、水戸城下の文人たちと接触していても不思議ではないのです。

月僊は多作の画僧です。寂照寺の地元伊勢市をはじめ、生まれ育った尾張や三河(今の愛知県)そして京都などに数多く残されています。多作で素描のような短時間で描かれた小品がかなりの部分を占めるということです。さっと描き、素朴な味わいの画。

一方で仏画や南蘋派や洋風画の新しい表現方法を取り入れた人物画や花鳥画もあり、折衷形式になるスタイルの画もありました。作品が多いというのは一見良さそうにみえるかもしれませんが画家・画人の技量の見極めや画風の変遷により作者の評価を下す時にはむしろ妨げになってしまうことがあります。例えば谷文晁も多作です。晩年の「烏文晁(からすぶんちょう)=文晁というサインの字体が烏が羽を広げて飛んでいるような奔放な字のためこの名があります」と総称される作品は粗放な水墨の画が多く、文晁の評価を全体として少し下げている傾向があります。

今回の展示作品は温和な色合いで、やや俳画的な素朴な感じがする山水人物画、山水画と少し細密に描いた人物画、道釈画があります。

月僊 蘇東坡図

月僊 蘇東坡図

月僊 山水図

月僊 山水図

左の蘇東坡図は相国寺の塔頭 光源院の僧 維明周奎(いみょうしゅうけい 1730~1808)の七言絶句の賛があります。維明は伊藤若冲に墨梅を習った人で、月僊とは共に僧籍にある文人ということで気があったのかもしれません。右は山奥の溪谷に人が集う人数からいうと「竹林の(本当は松下の)七賢」的な?画題です。人物の表情をみてほしい作品です。

さあよもやまシーズン4も次回が最終回!
追い込みの連載でいきます。
また次回!